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浅水十明先生書
「我も充足す 無一物 花の山」

左図の書は、当院の玄関に掲げてある浅水先生の直筆によるもので、父が市盲卒業時に浅水先生より直接いただいたものです。意味は私が申すまでもないと思います。
眼科医であった浅水先生は、当時の困窮した生活をおくりながら斯業にたずさわる視覚障害者に対し、医学教育の必要性を感じ、数名から始めた講習会を発展させ、鍼灸マッサージ師の資格養成校の先駆となった横浜市立盲学校を創立されました。
私は、明治26年に視覚障碍者が悲惨な最期をとげることから、とある名士が市長に掛け合い、許可を得て現在に至る斯界と関係の深い盲人墓地の護持管理を行う役を引継いでおります。
詳細については、長年に亘り横浜市や多くの方より温情を受け、ゆかりの方等の個人墓も有し、世代も交代しておりますこと等から差し控えますが、合同慰霊碑の過去帳には、浅水十明先生の御名も記されております。
その経緯等につきまして何かご存知の方がおられましたら小柴までご一報いただけますと幸いです。
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